おおよそだいたい、合唱のこと。

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主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
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ゆっくりしていってね!!!

2015年3月30日月曜日

【三善晃追悼ジョイントコンサート―MIWO・ある・豊混―】

2015年3月29日(日) 於 兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール

お久しぶりです。
この間、色々ありましたが、そういう私情はこのブログではなんてことはございません←
さて、久々に! 合唱演奏会を聴いてきました。大好きで大好きで仕方ない三善音楽の演奏会。こればっかりは、行かねば、ということで、18きっぷ乗り継ぎで行ってきました。ちょっとつかれていたので、レビューが遅くなってしまいました。否然し、久々だから筆が鈍っているか……ってそんなこと言ってる場合やない!

三善演奏会や!
……おっきくしてみました笑

三善晃
合唱の歴史を、また、日本の戦後音楽の歴史を、この人を抜きにして語ることはできません。作曲家として、そして教育者として、日本の現代音楽、またクラシック音楽のあり方をリードしてきた巨匠の一人です。2013年、惜しくも逝去され、その追悼として、この演奏会を迎えることとなりました。
1933年に生まれ、自由学園において音楽の如何を学び、平井康三郎、池内友次郎に師事、東大仏文科在学中にフランスへ留学し、アンリ・シャラン、レイモン・ガロワ=モンブランに師事、アンリ・ディティユーに私淑(それと料理で下宿のおばちゃんに私淑)。同時期から作曲活動を本格的に始め、1970年の芸術祭優秀賞や、幾度も尾高賞を得るなど、高い評価を得てきました。また、桐朋学園大学・学長を務め、鈴木輝昭、池辺晋一郎をはじめ多くの弟子を育て、また、全12巻からなる『MIYOSHIピアノメソード』やNコン小学校の課題曲など、子供向けの作品も多く書くなど、教育者としても高い評価を受けてきた作曲家です。2013年に逝去されるまで、オーケストラ、オペラ、ピアノはじめ器楽、声楽、合唱、初期には電子音楽、オリンピックのファンファーレに万博の開幕曲、そしてテレビやラジオのBGMなど、あまりに多岐にわたる分野で多くの作品を作られてきました。
特に初期は、過去と現在の自分、そして周辺環境との対比、そしてそこにおける自己意識について、豊かな音響と多彩なリズムで、主に器楽、オーケストラを中心に表現し、やがて、ラジオ番組の依頼を通した田中信昭との出会いを通して、『トルスII』を皮切りに多くの合唱作品を書くようになりました。合唱作品では、最初のうちは、傑作『レクイエム』や『五つの童画』に代表されるように、原体験に基づく他者との意識レベルでの対話を通して音を操る作品を書いてきましたが、特に桐朋学園大学・学長就任後は、その多忙もあってか、合唱の、それも、『地球へのバラード』『遊星ひとつ』のようなキャッチーで明るい曲も多く書くようになりました(もちろん、技量や主題についてはそれまでの曲と求められるものは変わらないのですが)。学長を辞職した後、器楽では、オペラ『遠い帆』、そしてオケでは「四部作」とまとめられる作品群「夏の散乱」「谺釣り星」「霧の果実」「焉歌・波摘み」、合唱では「木とともに 人とともに」「生きる」など、まさに三善後期の充実期を見、その中で、合唱も重要な役割を果たしました。この後、合唱を中心に晩年期の作品では、音の数を減らし、間合いが見せる充実の精神性と美しい旋律で、やはり「自己」へと回帰していく作品が多く書かれました。
徹底的に西洋音楽、またその技法に執心する一方、その通底にある音は、一貫して日本的で有り続けます。日本を殊更に取り立てることはないけれども、自己を描き続けてきたからこそ、その自己こそが、私達の心に共感をもたらしました。その音楽は、西洋的であるからして日本的であり、個に注目が集まっているからこそ広く心に浸透し、そして、深いテーマを持っているからこそ、何度も再演されているのです。そして、氏の死してなお、文字通り、氏の音楽は生きている。これからも、弾く、歌う、そして聴く私達の手で、三善晃の音楽は時代に応じて育っていきます。関東を中心に各地で行われている追悼演奏会同様、これからの三善音楽の切っ掛けとして、中部・関西地区で三善音楽を歌い育ててきた団によるこの演奏会は重要な位置を占めているように思います。

ホールについて
「実は」行っていなかったホール。「兵庫の」芸文ですね。個人的に、芸文と言ったら(以下略)
自分も関西でいろんなホールに行ってきたつもりでしたが、入った途端、「おおおっ、すげえっ」って思ったホールはそんなに多くない。色々な演奏会動画で見てきた印象を上回る威厳と壮麗さでした。ブラウンの内装と、それとホワイエの雰囲気が見せるシックな雰囲気は、もう、こんどでようやく創立10周年なんていう風には思えない風格を持っています。バルコニーフル装備の5階席と、高い天井、そして200円でものすっごく美味しいホワイエのチーズケーキまで(笑)、そうです、オペラを見るにはとても素晴らしいホールなんだと思います。つまるところ、すごくいい。アマチュア合唱にはもったいない笑←
響きについても、とても素直な響きを返してくれます。ただ、少々、前に飛んでこないイメージ。ホールの形そのままに、愛知・刈谷アイリスホールみたいな響きを持っているホールです。いい響きなんだけど、音圧にもう一つ、惜しいなぁと感じる面がある。加えて、全体として高音が飛ばない傾向にあります。これが結構致命的で、主旋律が飛ばない向きがあるので、音楽の輪郭を示すには単純に苦労するんじゃないかなぁと思いました。とは言え、素直な響きには、素直な音楽がよく合う、とも思います。結局、自分のやりたい音楽を素直に出せば、それには自然に応えてくれるようなホールであるとは思います。なかなかな良ホールです。アクセスもいいですし、席の硬さも長丁場公演でも耐えうるものですし、何より、すぐそばにガーデンズあるので、クローク買い忘れても安心ですね!爆

作曲:三善晃

司会は、関西合唱連盟の方。豊混のご縁によるものとのこと。もちろん、西岡先生がいるからには喋らないはずがありません笑 以前こちらにも書いた、豊中少年少女合唱団の団歌についてのエピソードを含め、団と三善先生の縁、そしてまずは「豊少」の曲についての解説の後、演奏が始まりました。

第1ステージ・豊中少年少女合唱団
「豊中少年少女合唱団団歌」
こどものための合唱曲集『光のとおりみち』より
「小鳥の旅」(勝承夫・詩)
「雪の窓辺で」(薩摩忠・詩)
指揮:西岡茂樹
ピアノ:西岡惠子

まずは、文字通り「愛唱曲」な1曲、そして、愛唱曲足りうる3曲。そう、まずは、三善晃の大事な側面ですね、校歌をはじめとして、市歌、町歌、村歌、Nコン小学校の部課題曲や、はては松下政経塾の塾歌まで、さまざまな形で「愛唱曲」を書かれてきました。とはいえ、団歌が三善、というのはとても珍しい事例。羨ましい限りです。
さて、歌全般としては、さすがに創団当初から歌い慣れてきているだけあって、とても安心して聞いていられることができました。ただ、「小鳥の旅」を中心として、少しフレーズが短かったり、跳躍の音程がうまく当たらなかったり、繰り返しのフレーズがすべて同じように歌われて変化がなく聞こえたりしてしまっていました。特に、「小鳥の旅」は、長い旅路の諸相を歌っていく曲ですから、そのところを、歌い分けとまでいかずとも、それぞれの言葉の音韻を踏まえて豊かに歌えると、もっとじっくりと聴くことが出来る歌になるのではないかと思います。
「お父さーん!」「ハーイ!」の掛け声の中で登場した豊中混声合唱団男声、少々若いお父さん(笑)もいる中披露した「雪の窓辺で」は、お父さん達に引っ張られながら、よく歌えていたように思います。あ、そうそう、現在、〈「雪の窓辺で」を学校の教科書に載せよう運動〉(会員3名)のメンバー募集中です。活動内容は、上掲の目的を達成するために各々頑張ること←

ステージが終わるたびに、トークです。西岡先生ですからね!笑
メンバーの紹介。毎年7月に行われている「三善晃を歌う会」として、公募メンバーを含めて団員にしたものでした。「今の日本に生きることの喜び、幸せを歌っているように思う。」というナイスな言葉で曲紹介。

第2ステージ・三善晃を唄う会&公募合唱団
『唱歌の四季』
指揮:西岡茂樹
ピアノ:浅井道子・武知朋子

そして、大人たちも、まずは愛唱曲から。大人数が集まると毎度この曲が演奏される傾向がありますね!笑 ちなみに前日には狭山で、同じ日には池田で、それぞれ東京混声合唱団と公募合唱団が『唱歌の四季』を演奏する企画がありました。今日も100名近い公募との合唱でした。ちらほら見える、知り合いの顔……笑
さて、この曲、最近トコトン再演回数が多いような気がします。そして、それぞれに使われている曲達も、どれも合唱でなくとも歌い慣れた曲達。ともすると、もう歌い慣れたような名曲たち。今回の演奏も、その「さりげなさ」が素晴らしい! さりげなく聞こえる第3音、さりげなく聞こえる倍音、さりげなく合流するtutti、さりげなく歌われる旋律はもちろん、さりげなく刺さるスタッカート……唱歌であるからには「さりげなく」歌われるべきである曲ですが、まさにそのさりげなさを良く表現できていました。まさに、オープニングに相応しい、軽く、愛らしい出来です。この曲の三善らしさといえば、まさに、それぞれの曲の持つ独特な旋律をそれぞれがしっかりと歌うこと。今回は、そういった三善らしさを良く歌い込めていたのではないでしょうか。

インタミ15分。曰く、チーズケーキが美味しかった、と。次のインタミでは食べに行こうと誓う。インタミ2回あるとこういう点がいいですね!笑

ここから各団の演奏へ。まずは幹事の豊混。もちろんインタミ終わってもトーク……またしても西岡先生笑
曰く、西岡先生で豊混8代目の指揮者にあたるとのこと。すげー笑

第3ステージ・豊中混声合唱団
「縄文連祷」(宗左近・詩)
指揮:西岡茂樹
ピアノ:武知朋子

大曲にして名曲。東混の三善先生追悼演奏会では大谷先生も演奏していた曲です。三善と肝胆相照らした宗左近の「生きながら死んでいる」というモチーフとともに、生と死の間に生きる姿を活写する、三善晃が万年テーマにし続けた死生観にまつわる名曲です。成立は1990年。90年代後半には四部作へつながっていくことからもわかるように、三善作曲史のなかでも重要な位置を占める楽曲です。
さて、演奏では、男声のtuttiや、和声などではいい音がなっていたように思います。特に最初と最後の現世的な旋律は良い。ただ、中間部前半の咆哮、いわば「計画された破綻」とでも呼べるような部分で、もっと音量と勢いが欲しかった! 全体的におとなしかったように思います。例えば、感嘆詞「おお!」これは、これ単体として機能する言葉ではなく、その後の相互連環のなかで改めて機能してくる言葉。ともすると、おお、だけを突出させるのではなく、すべての言葉に対して感情を爆発させるように、思いを丸のままに曝け出すような音が欲しかったように思います。情感的な部分がよかったからこそ、こういう、開眼するべき部分で、もっと目の覚める音が欲しかった。そう、もっと、豊混の音のままに、この曲を聞きたかったな、というのが素直な思いです。もっとも、直近のサンプルが大谷×東混なので、そこんんところ、ハードル高いですかね……笑

で、次は、ある。もちろん、松前先生にも喋って戴きます笑
「今年で創立30周年、高校生からお姉様方(ここで「何故か」会場笑)まで幅広く活動。三善作品も様々な曲を演奏、中でも忘れられないのが「その日」。初演させていただいたことに加え、テーマには広島の団として使命感のようなものも感じている。」

第4ステージ・合唱団ある
「ふるさとの丘」(『ゆったて哀歌集』より、五木寛之・詩)
「その日-August 6-」(谷川俊太郎・詩)
「生きる」(『木とともに 人とともに』より、谷川俊太郎・詩)
指揮:松前良昌
ピアノ:浅井道子

後期の三善から3曲。それぞれ、2004年、2007年、2000年。四部作・オペラを境に、晩期の三善は、『やわらかいいのち三章』に代表されるように、音の数を減らした作品を多く書くようになりました。しかし、音の数が少ないからといって、それは決して空虚ではなく、その間にある全ての心情を包含した、充実の無音。必要以上の音を鳴らさないという音楽の極みへと近づいていく三善の姿が、まさにそれらの曲に写されているように思います。
さて、演奏は、まず何より、「ふるさとの丘」が絶品! 叙情を歌うということについて、こんなにも徹することが出来る団というのをこれまで聞いたことがあっただろうか! 繊細でかつ自由度の高い、雰囲気をめくるめく眼前の情景に変えていく演奏、ほんとうに素晴らしかったです。そして、「その日」――これも「もちろん」、素晴らしい。三善作品のすべての要素が混じっている作品、その繊細な描き分けを、十分すぎるほどにしっかりと見せてくれました。
「生きる」は、とてもゆっくりとスタート。何より最初の一音目の浅井先生の弾き方が!「ふるさとの丘」の叙情性を十分に支えていたそのピアノは、「ピアノのための無窮連祷」において、合唱に対置されるもう一つの主役として十分な存在感を示しました。一方、合唱は、こちらでは少し残念だったかもしれません。一つ一つの言葉がよく飛んできていましたが、音量は最初が弱かったのは表現だとしても、最後まで上がりきらなかったのは残念でした。とはいえ、最後の見開きページ計7段にわたって続く「生きるということ」のリフレインの収め方は絶品。「ふるさとの丘」から続く叙情性の流れが、ここにうまく収まっていたように思います。

再びインタミ15分。実はインタミ1本で25分くらい、でも良かったかもしれませんね。だって、チーズケーキ美味しいですもん笑 小さいサイズながら、しっかりと味のある上品なチーズクリームが、本当に「ただの美味しいチーズケーキ」笑 これはもう、このホールでスイーツ部部長の曲を演奏して部長を招待しなければなりますまいッ!笑

前説では大谷先生も勿論喋ります笑
「3つの合唱団がやるのは画期的だが――長いし疲れません?(笑)三善先生によるピアノでの共演の機会、先生が、ごめん、今日は弾けない、と。手を見せていただいたら、ボロボロになっていた。痩身の先生は、こんなにも身を削って曲を書かれていたのかと。その中で生まれるあの曲! 今日は楽しんで歌っている姿を天国の先生に。きっと喜んでくださることを。」

第5ステージ・合唱団MIWO
『五つの童画』(高田敏子・詩)
指揮:大谷研二
ピアノ:浅井道子

三善晃を器楽を含めた通史で語る時も、初期のマイルストーンになる名曲です。合唱における代表曲とされるだけでなく、氏をして、自身の『遠方から無へ』に、自身のピアノ書法の集大成と言わしめるほど、精緻に書かれた楽譜です。合唱もピアノも超絶技巧、その中に現出される、寓話性や諧謔、そして刹那の世界など、まさに色彩豊かに歌い上げる傑作です。
表現に対する食付き、音像の見せる相互作用――まさに、この演奏をして絶品! たまらないくらいに素晴らしい出来でした。せっかく名古屋に帰ってきたのに、何が一番って、岐阜の合唱団のこの演奏ですよ笑 『五つの童画』を見事に飼いならし、歌い上げました。本当に難しくて、ともすると、表現なんて言ってる暇がないくらいの曲なのですが、そんなことをむしろ感じさせないくらいに、徹底的に表現しようという意欲のみでまとめきってしまいました。逆に言えば、ところどころ、荒いところもあるのですが、大事なところとそうでないところの描き分けという意味では、絶対に落とせないところは絶対に外していない。その意地をして、その劇性を余すこと無く描き切っていたように思います。そう、もう、技巧ではないんですよ、これは――。以前聞いた東混にも匹敵するレベル。
そして何より、浅井先生のピアノ! それこそ、難しい部分をあっさりと、さり気なく完璧な間合いで入ってくる音! ピアノが歌っているとはまさにこのことを言っているのだと。合唱も素晴らしかったのに、さながら、浅井先生のピアノ独演を弾いているような気分にすら浸れる――ああ、贅沢だ。

最後は、間を埋める(?)感じで、司会の方がそれぞれ紹介。もちろん西岡先生はその時も出てきます笑 自身の演奏する「バトンタッチのうた」にあわせて、「何らかのバトンを受け取って渡していく、今日は三善作品を「バトンタッチ」したい。」

第6ステージ・3団体合同ステージ
女声)「ふるさとの夜に寄す」(『三つの抒情』より、立原道造・詩)
男声)「バトンタッチのうた」(『遊星ひとつ』より、木島始・詩)
混声・童声)「春」「花」(『日本の四季』より、「春」作詩者不詳、「花」武島又次郎・詩)

『三つの抒情』は、『五つの童画』よりも成立を早くする、三善最初期の合唱作品。松前ステージの流れを汲む、叙情的な美しい曲です。しかし、松前先生は、どうして、叙情的な旋律をこんなにも思い切ることが出来るのでしょう。メロディをして詩を伝える美しさ。『五つの童画』からの切り替えも鮮明に、音楽の流れの中に寄す流列。和声は要素にこそ過ぎないものの、でも確かに、和声は機能しているその構成。佳作。こういう大人数で女声合唱を聴く機会そのものが随分減ってしまったので、その意味でも十分堪能することが出来ました。
『遊星ひとつ』は、『縄文連祷』の直後に生まれた、男声合唱名曲中の名曲。『遠い帆』へと繋がっていく、自身の存在の相対性、或いは不安定性という主題について、70年代、80年代往時の激情そのままに、キャッチーに、ロックに仕上げられた傑作です。そりゃもう、とっても歌うのは難しいのですが、まずは今回、指揮ミスからか、息が合わなかったか、「人がいたとして」の前のところで、見事に入りがズレてしまう事態に。もっとも、そこからうまくリズムを戻したのは、さすが実力を持った集団だからこそのような気がしますが。とはいえ、最初から、少々遅いテンポだったのはともかく、歯切れが悪かったような気がしました。最後のカデンツはしっかりとハマりましたが、とはいえ、西岡先生焦ったか(退場もずいぶん早かった笑)、あっさりと終わってしまう。それならせめて、最初から歯切れよく突っ走ってくれればよかったかなぁというような思いがあります。うーん、やはりこの曲は難しい。
『日本の四季』にはもう、何も不安はありませんね。全体で30分くらいかかるメドレー曲ですが、そこから最後の2曲を抜粋して。このアレンジで、「花」が大好きになりました。全体合唱で、今日の疲れ(?)を取るように、最後、堂々と、曲の流れにあわせて歌ってくれました。個人的には「春のうららの隅田川」でひとまとまりのフレーズ作って欲しかったなぁ、とか思ったりもするんですけど、でも、この曲も、やっぱり大事なのは、「さりげなさ」なんですよね。三善作品のアレンジは、対旋律のゴミゴミとしたところをもすべて「さりげなく」歌うことが大事なんですよね。その、さり気なさがよく出た、いい演奏でした。

そのまま、アンコールなく、終演。しかし、この編成があるなら、「木とともに 人とともに」を聞きたかった!笑

・まとめ
選曲が、三善晃の主要な作品を全時代的によくさらえていたのが印象的でした。それらの曲を、十分に理解した人たちが、愛唱曲のように三善作品に取り組んでいくそのさまは、とても見ていて気持ちのいい演奏会でした。だからこそ、もっといいものを、という欲はとまらないのですが、でも、だからこそ、この追悼演奏会には価値がある。追悼して、ハイおしまい、っていうことではなくて、これから先、三善音楽をしっかりと私達の手で伝えて、磨き上げていくこと。三善音楽には、そういうことを出来る深さがあります。たとえば、技術だったり、たとえば、解釈だったり、あるいは、ホール選択についても言えます(もう少し「響かない」ホールのほうが効果的だったような気がします)。複雑というだけでは片付けることの出来ない、三善音楽の真の魅力を発掘する仕事を担うのは、私達にほかなりません。

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