おおよそだいたい、合唱のこと。

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主に、管理人が参りました、合唱団の演奏会のロングレビューを掲載しております。
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合唱ブログのつもりではないのに、気付いたら合唱ブログみたいなことになってきました。
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ゆっくりしていってね!!!

2015年9月4日金曜日

【東京混声合唱団いずみホール定期演奏会No.20】

[大谷研二 東混指揮者就任25周年記念]
2015年9月4日(金)於 いずみホール

行ってきましたよ!
そしてこの記事へ帰ってきていただきましてありがとうございます!笑

さて、〈前日譚〉が想像以上の盛り上がりに支えていただけました東混いずみ定期、行ってきましたのでこちらのブログにレビューをアップです。え、前日譚はどこへ行ったって? ……やだなぁ、この記事ですよ、この記事笑

・演奏会のききどころ
 毎年、その年の東京定期や学校公演で演奏された曲から再構成する東混いずみ定期。今年は「三善晃 関西ゆかりの合唱作品」「いずみホール定期演奏会20回記念~この20年、愛された日本の合唱曲選~」と題した2本立てで開かれます。
 一つ目は、逝去直後より、東混初演曲を中心に集中的に取り上げている三善晃作品から。今回は、関西ゆかりの作品ということで、大阪朝日放送が委嘱し、日下部吉彦氏がプロデュース、東混が初演した『嫁ぐ娘に』と、もとの男声合唱版が関西大学グリークラブにより初演された『クレーの絵本第2集』が演奏されます。『嫁ぐ娘に』は、直近の豊中混声合唱団をはじめとして多くの合唱団で再演されてきている定番プログラム。なかでも東混団員からの支持は初演当初から圧倒的で、初演リハーサルでは女声が泣いて歌えなくなるだとか、今でも思わず涙が出てくるだとか、そんな伝説を色々持っている佳曲。そして『クレーの絵本第2集』は、特に混声版が音源も希少で、2014年12月に東混が再演するまで滅多に聴かれることのなかった貴重な曲。以前その模様がラジオで放送された時にもよく分かることでしたが、難易度もさながら、特に終曲「死と炎」の最後の描写が男声版と異なるなど、混声版ならではの効果的な音響を見せる名曲中の名曲。再演が(そしてなんなら録音販売が)待たれていた最たる曲の一つでもあります。
 そしてもう一つが、大田アプリコ特別演奏会で開かれた演奏会を皮切りに継続的に組まれている、合唱の名曲をたどるシリーズプログラム。8月には、その様子が収録されたCDがリリースされています。普段、近現代の大曲を取り扱うことの多い東混が、「方舟」や「聞こえる」、「信じる」、「くちびるに歌を」といった広く親しまれている名曲を、日本をリードする声楽的素養とフレーズ構築で再現するとあって、かねてから注目していた演奏会のひとつです。都合ありで聴けてなかった当方、新鮮な気持ちで、そして、日本随一の響きを持ついずみホールでこのプログラムが聴けるということで、楽しみにしていました。明日はインタビューによると、大谷先生のプライベートも交えたトークも聴けるとのこと、それもとても楽しみです。CD? その、ほら、ちょうど、会場で買おうかな、なんて←
 また、今回は、東混団員を経て合唱指揮者となった大谷研二先生が東混指揮者就任25年となる節目の年。12月の238回東京定期は、大谷先生の名前を冠にした演奏会が用意されています。20回の節目にして過去10回指揮をしてきたいずみ定期でもその流れを汲んで指揮を振ることになりました。加えて、ここ数年、山田和樹、松井慶太両先生をはじめとして若手指揮者陣が担うことの多かったいずみ定期、いまや東混を担う大御所の一角が満を持しての登場です。

・ホールについて

 いずみホール。いい加減、このホールについて書くこともなくなってきているような気がするのですが……笑 開場が18時半だったのが18時に早まりました。なんでも、ご来場いただける多くのお客様に、ホールの雰囲気をもっと楽しんでいただきたいため、とか何とか。確かに、このホールの雰囲気はいいですしね、30分じゃもったいない。しかも、今日の客入りは8〜9割と上々でした。
 大谷先生といえば、椅子。以前バイク事故で脚を悪くされ、歩かれる際は杖が手放せない身に。そんな中でも力強く指揮を続けられる大谷先生にとって、ちょうどコントラバス奏者が使うサイズの椅子は欠かせない存在。長時間の組曲を振る上では、どうしても座っていないと耐えられないということなのでしょう。でも逆に、「座っているのが耐えられない」ことがあるのが、大谷先生のアツいところ。毎回、演奏会、それも曲のピークに達したところで、すっくと立ち上がり、情熱をぶつけます。大谷先生が立った日には、演奏会も成功したというもの。さぁ、今日は果たして?笑
 他には、何か、ウィング側の雛壇の化粧板が新しくなったかな? なんていう細々とした変更点を見つけつつ、今回も贅沢に響きつつ確りと届くいずみホールの音響を楽しんでおりました。しかし、毎度毎度、申し訳なくなるほどのいい席で聴かせて頂いて……感覚が麻痺しそうだ苦笑
 あ、そうそう。いずみホールといえば、「電源をお切りください」という会場アナウンスに合わせて、客席通路をピクトグラムの看板を持った客席案内係の方が行脚されるというのがおなじみになっています(なんか以前より看板がしっかりしていたような気がします笑)。訊くところによると、今年の静岡県コンクールで、ケータイ騒動があったそう。それも、曲の弱音だかゲネラルパウゼだかの部分でけたたましくなってしまったとか。その際、Twitter を中心に「ケータイ切ってねアピールではどれが最も効果的か」ということが議論になって、その際に最も効果的とされたのが、この看板。全日本合唱コンクールでは、千葉県が主幹した時にやって効果てきめんだったとか。ところで、この看板行脚、いったいどこが発祥なのでしょうか……? 隣にいた某も、その看板を見て「そろそろ切らなきゃ」。なんにせよ、効果はてきめんのようです笑

指揮:大谷研二
ピアノ:斎木ユリ*

ちなみに、CD はちゃんとホールで買いましたよ。時間ギリギリながらサイン会にも参加。いやぁ、ミーハーの力って怖いですね……苦笑
しかしまぁ、相変わらず知り合いが多かった笑

◯三善晃 関西ゆかりの合唱作品
第1ステージ
三善晃(1962)混声合唱曲『嫁ぐ娘に』(高田敏子)

 嘗て東混が初演した曲。上述の通り、ある意味において「演奏者泣かせ」の一曲です。もっとも、難易度的な意味では、少なくともこの団にとってはたいして泣かされもしないとは言えますが……笑
 この曲、ゆったりとした部分とリズム的な交歓の部分の交叉が印象的な曲。明暗交じる様々な感情を、旋律以下の様々な和声とリズムパターンで描きます。今日の音楽作りは、総じて、しっかりと日本語の鳴る叙情性の高い作り。1曲目「嫁ぐ日は近づき」のハミングが静かに、しかし一音目から溢れ出るようにしっかりと和声を奏でる中に、そして、リズムの中に喜びを見出す場面になってなお、叙情的な言葉がしっかりと乗り、部分部分で横の流れを分解させてしまうことのなく、かつ、明確な旋律を以て、この曲の「横の流れ」を明白なものにします。そう、まさにこの曲は、「歌もの」なんです。
 言葉の作り方に加えてとても明快だったのが、曲の「頂点」について。強勢、ならびに和声について、この曲の聞き所はここですよ、と演奏が教えてくれるという構造が明白でした。例えば3曲目「戦いの日日」。最初、軽すぎるかな、と思わせる女声部が、段々と核心に近づくにつれておどろおどろしさを増していく、その、曲全体に意識が向いた立体的な曲の作りが段々と見えてくる。そして気付けば、それが全体の「やめて!」という表現を強烈に印象づけているのです。どんな部分にもその伏線たるを思わせる、そんな作り方が出来るのも、それが業に満ちていてこそのように思います。この点、もっとも素晴らしかったのは5曲目「かどで」の「やさしいひとみ」への持っていきかた。ついつい「さようなら」で盛り上げていきたいところを、まだまだ余力を残しつつ、最後の「やさしいひとみ」で十分に鳴らすことで、この曲全体の大きなメッセージが浮き立ち、そして、消え入るように終わっていく、その美しさよ――。
 加えて、先程の3曲目でいえば、男声のソロの部分に明確なように、当然のことながら、誰もがソロを取れるからこそ出来る、歌いまわしの作り! 「おれの手は」と一人ひとりが語りかける、まさにそこ自体にストーリー性を感じずにはいられません。

第2ステージ
三善晃(1980)混声合唱組曲『クレーの絵本 第2集』(谷川俊太郎)

 特に混声版は目立って再演も音源も少ない貴重な演奏です。ってかほぼないんじゃないですかね、ですから、やはりここは、早急に音源のリリースをですね笑 先程、全音旧表紙を携えたメンバーは、今度はカワイ ODP 譜に持ち替え。その意味では、アマでも演奏可能なんですけどね、その、物質的な意味で笑
 一転、牧歌的、童謡的な音楽。――5曲目までは笑「第1集」の平和的かつ諧謔と祈りに満ちた音楽を引き継ぎつつ、しかし、音楽的により洗練された形で、言葉によって観察されたクレーの絵画から、新たな「絵画」を音で現出しています。しかし、音楽的に洗練されているということは、技術的により難しいということ。――「ケトルドラム奏者」のケトルドラムのオノマトペとか「死と炎」のアルペジオとか、こんな曲、絶対にアマチュアだったら曲中のピッチの下降が問題となるのに! ズルい!笑 そりゃ納得ですよ、カーテンコールで真っ先に、功労者・ベースを賞賛するのは!笑
 割とこの曲に特徴的な部分だと思うのですが、リズムの揺らぎによる表現の深化がとても顕著です。『嫁ぐ娘に』にもあるようなリズムパートも健在ながら、一方で、このテンポ変化も襲ってきて、ヘタしたらこのリズムに振り回されたまま一曲が終わってしまいそうな感じ。しかしながら、今日の演奏は、特にこのテンポ変化へ向けた表現が見事。技術的に「あ、変化した!」と思わされることはむしろ稀で、表現として、自然に、変わってほしいように変わっている。だから、非常に心地よく、そのテンポの変化が身に沁みるのですね。さらに、和声。言葉と和声のリンクというのをひしひしと伝えるその作りは、和声による言葉の解説という観点で見てもとても明白でした。例えば、「いのちはいのちをいけにえとして」と「しあわせはふしあわせをやしないとして」の対比は、まさにそのところといえるでしょうか。
 4曲目のブルースチックな諧謔に溢れた「まじめな顔つき」。「まじめ」の3連符(ですよね?)もこれまた面白く響きます。この曲が本当によかった。しっかりと響かせながら、ピッチが合いつつ音が揺れる……わけわかんない? あるんですよ、そういうことが笑 そして、その詩の意味を引き継ぐようにして、「死と炎」。一番最初に出てくる「せめて」が少し音圧に欠けたでしょうか。それ以外は、リズムの刺さり方、明から暗へと、そして自分自身の実在へと向かっていくテーマが非常に明瞭に示されていました。この曲において、何を表現すべきか、なるほど、最後なのですよね、この曲は――よろしければ、詩集絵本で、是非笑

 インタミ20分。このゆとりがプロなのだ。違うか(何
 いやぁ、しかし、お酒飲んどけばよかったかな……いやそんなことしたら、今日こうやって電車でレビュー書いていられなかったのかも笑 しかし、このホワイエは本当に素晴らしいですよね。
 あ、ちなみに、昨日の『カンブリア宮殿』(テレビ東京系列)ではヤマハが特集されましたが、今日のピアノはスタインウェイ。しかし、このスタインウェイが、このステージで大活躍するんです……あれ?← ちなみに、ヤマハは好きですよ、ノスタルジーだけで言い切ってしまうなら、今日のステージはヤマハで演奏されるべきですしね笑

第3ステージ*
◯いずみホール定期演奏会20回記念~この20年、愛された日本の合唱曲選~
萩原英彦(1971)「ふるさと」(矢澤宰)
広瀬量平(1975)「海はなかった」(岩間芳樹)
平吉毅州(1978)「ひとつの朝」(片岡輝)
木下牧子(1980)「方舟」(大岡信)
高嶋みどり(1984)「かみさまへのてがみ」(谷川俊太郎)
荻久保和明(1990)「IN TERRA PAX―地に平和を―」(鶴見正夫)
新実徳英(1991)「聞こえる」(岩間芳樹)
鈴木輝昭(1994)「きみ」(谷川俊太郎)
松下耕(2004)「信じる」(谷川俊太郎)
信長貴富(2006)「くちびるに歌を」(ツェーザー・フライシュレン、信長貴富・訳詩)

 見よ! この圧巻のプログラムを! これほどまでにないという程に、後半に10曲見事に詰め込んで、この20年、否、高度成長爾来歩みを続けてきた合唱史を見事に纏めあげたこの珠玉の曲達よ! 上述の蒲田の演奏会からの抜粋ながら、非常に肝心なところをうまく抜粋してきたなぁといった感じ。プログラムの解説には戸ノ下達也先生。ううむ、大物の解説があるからには、当方が解説するには及ばずか、なんて←
 そりゃもう、個人的な思い出はいっぱいあるんですけれども(中学1年の時3年の先輩がやっていたインテラに憧れてた話とか、くちびる演奏した時の話とか……笑)、ここではそういう話は極力排して(もう言ってしまってるやん!w)。曰く、最初は、大谷先生にとっても想い出深い曲。病床にあって夭逝した作詩家のお母様と親しくなった話から、「病床下にあって一時帰宅した際に書いた」という「ふるさと」は、明快かつ澄み切ったふるさとの情景に対する叙情、そしてそれにゆったりと寄り添う旋律が、流れてゆく音楽をしっかりと、明るい音色で彩りました。次の2曲は、いずれも大谷先生の高校時代にNコンの課題曲だった曲(曰く、年がバレる、と笑)。「海はなかった」では、厳しい曲調の中に、そっと寄り添う下部旋律。そして柔軟性の高い表現だからこそ出来る厚みのあるフレージングが語りかける中に、三和音をしっかりと鳴らし、第三音の解決も流れの中に豊かに響きました。「ひとつの朝」は、少し最初の男声は怖かったのかも、とは思いました。しかし、和声に伴うアンサンブルの展開力が、この曲に新たな輪郭を与えました。「ひとつの」の響きには、一方で、もっと力が欲しかったか。
 団員はここで一回楽譜替えのためにステージを立ち、大谷先生がお喋り。「松下耕「信じる」の初演の際に斎木先生(ユリちゃん)と初共演。いまではまるで親戚みたいな仲」。次の女性作曲家2人に対して、「80年代にとても目立っていた。木下さんは正統派、「鷗」も『ティオの夜の旅』も大好き。対して高嶋さんは豊富なアイディアの持ち主。当時珍しかった無伴奏での女声合唱曲(『待ち人ごっこ』)も印象的だった」。そんな大谷×東混の「方舟」にはビックリ。そうか、こんなにハマる曲なのかこれは!笑 ソプラノが少し軽いかと思わせる一方で、しかしそれがピッチとしては全く正しく、和声構造をして、この曲の壮大さを語りかけます。そして、第三連以降のピアノを含め、音楽がディティルにわたってヌルヌル動く、そのダイナミクス(所謂ディナーミクに非ず)に驚いてしまいます。「かみさまへのてがみ」は、このステージで最もユーモラスな曲。最初のチャイムのモチーフだけでもワクワクさせられて、リズムの絡みがとても心地よく、肩肘張らずに、チャーミングに軽く歌いながら、しかし最後の和音にしっかり含みをもたせるあたり、さすが東混といったところ。
「指揮者は――イイですよ、ずっとここで聴ける」という大谷先生の自慢話も場を沸かせつつ、「次の3曲に共通するのは、戦争や世の中に対する不安などを訴える曲」。「IN TERRA PAX―地に平和を―」は、至極あっさりとしたファンファーレが含みを持たせつつ、さわやかな情景が音として駆け抜け、そして、地球の躍動の気付きに対する早いパッセージを境にしっかりとリズムを刻みます。「鳥も木も草も」の、思わず身震いさせるくらいの豊かなクレシェンドから始まる「IN TERRA PAX」のファンファーレは、曲の後半に行くにつれ、じっくりと、豊かな音量で聴かせてくれるものでした。イヤいいわこの曲、この演奏! 納得のフライング拍手です笑「聞こえる」では、特にこの曲で顕著だったのですが、いちいち歌い上げない表現が本当に全体に亘って見事。逆に、歌いあげるべきところをしっかりと歌い上げている。だからこそ、弱音部がちゃんと映えるんですよね。「なにかできるか教えてください」、そして溶けてゆく和声の日常。「きみ」は鈴木輝昭作品。意外とお目にかかれない組み合わせのようにも思いますが、ナニ、師匠の曲はメインレパートリーなだけあって、そうだ、この団は輝昭作品も軽々と歌いこなしてしまうのだ笑 早くなったところもむしろより早く、一瞬の淀みもなく駆け抜けていくというのは、なかなか出来たものではありません。「しんだきみといつまでもいきようとおもった」の部分の響かせ方、そして、最後の畳み掛け方、なにより、斎木先生が弾く圧巻の輝昭サウンド!
 ここで、突然振られた斎木先生、大谷先生の第一印象を訊かれ、「ずっと私が Nコンを弾いていて、その中で新しい指揮者さんとして大谷さんがやってきて……異色だな、と思って……異色だな、と(笑)意外にも(?)よく怒られるけれど、素晴らしい人です」。そんな初演のコンビによる「信じる」。最初のピアノは、これは斎木先生でないと鳴らせない音! とても静かに、あっさりと、しかし、時折淀むようにして、じんわりと聴かせるピアノの前奏の後は、合唱が静かに入ります。主題まで本当に、響きで歌うように静かに歌っていきました。何かと歌い出しからボリュームが爆発してしまいがち、そうでなくても「大口あけて」で合唱団が大口を開けてしまいがちな曲(笑)ながら、この演奏では徹頭徹尾、その静かさが守られていました。そして、主題でようやく恢復のようにしてじっくりと音量をあげて、しかし最後には確実に静かな音量へと戻っていく。静かに始まり、静かに終わる、その中に溶け込んでいる内なる情熱に思いを馳せられる――これまで聞いた「信じる」の中で一番良かったかもしれない。
 最後の曲を前にして大谷先生曰く「アンコールは――否、次の曲歌った後にアンコールは、これでもう十分だな、と(笑)。サイン会を請われていますので、そちらで皆様をお見送りしたいと思います。遠方から来てくださっている方もたくさんいらっしゃるようですしね、金沢とか、名古屋とか」――ご配慮恐縮です!笑 そんな最後を飾る曲は「くちびるに歌を」。そりゃもう、この団にこの曲歌われたらタマラナイんですけど、歌った身として物凄く感動したのは、「Gedränge dich bang!」の言葉の処理! めっちゃ細かい話なんですけど、実はこの部分、無意識に歌うと「Ge / drän / gedich / bang!」になりがちなんです。音節がずれてしまう。今日の東混は、この内、本来の強勢にあたる「Ge[drän]ge」(囲った部分)の子音をかなりインテンポより前から鳴らしていたんです。こうすることで、本来の「Gedränge dich bang!」の単語・音節の通りに言葉が聴こえるようになる――少なくともそう諒解した当方、唸らされました。見事。感動が約束された曲というのは、普通感動しないところをしっかりと表現することで感動が生み出されるのですね。神は細部に宿る。先生は最後の最後、「Hab' ein Lied auf den Lippen」の応酬のくだりで立ち上がる。最後にして業の光る、納得の出来でした。

「予告通り」アンコールはなく、厚かましくも最初の方にサインを頂戴して、慌ただしく大阪を辞しました。――否、間に合ってよかった苦笑

・まとめ
 今日全体をして、「この曲って、こういうことだったんだ!」という発見に満ちた演奏会でした。最後のドイツ語問題こそ象徴的ですが、最初の『嫁ぐ娘に』を含めて、他団での再演も多い曲、ともすると、様々な演奏を聴いてきて、果たしてこの曲の本当の解釈は、というのがぼやけてきてしまうような錯覚に囚われます。その中にあって、今回の演奏会では、この曲はこう聞くといいんだよ、というのを演奏が自然に教えてくれるようでした。まさに、この曲の泣き所を掴む演奏。それが全く恣意的でなくて、全体の流れの中で自然に解釈の中に対置されている――そう、だからこそ、この団はプロたりえるんです。アマチュアの合唱団が最もマネの出来ない、マクロ的な曲の解釈という点について、この団を差し置いて他にないという程の圧倒的な実力を、此度もまた魅せつけられました。
 そして、この団最大の特徴の一つである、作品発掘。新作や佳作再演を通じて様々な曲を、その時々において余に提示し続けるこの団にあって、今回の『クレーの絵本第2集』もまた、そんな問いかけの一つ。三善追悼とあってもなお、再演されない曲というのも多い中にあって、この名曲を引っ張り出してきた大谷先生と東混には、本当に感謝したいところ。ヘタしたらこのまま埋もれてすらしまいかねなかった曲。再演の意味は非常に大きいトコロがあります。
 今後直近、神奈川豊田での公演を控える東混。しばらく、また「うた」を届ける日々の後は、12月には東京定期で三宅悠太と鷹羽弘章両氏による新作2本と三善晃『波』『日本の四季』というリッチなプログラムを控える東混。今後の展開も楽しみです。その、直近だと、『まどマギ』演奏会への出演とか←

……ここまで書くだけで桑名まで来てしまった……長い戦いだった……笑

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