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2014年7月6日日曜日

【豊中混声合唱団第54回定期演奏会】

2014年7月6日(日) 於 ザ・シンフォニーホール

トヨ(・∀・)コンでした!!

さて、大阪府豊中市に拠点をおきつつも演奏会を豊中市でやらないと評判の豊中混声合唱団でした。今度新しいホールができたら、事情が変わってくるのでしょうか笑
豊混というと、名誉指揮者に須賀敬一を据え、高田音楽の伝導者的立場としても、そして、永く関西の合唱界を引っ張ってきたという意味でも、重要なポジションを占める合唱団。西岡先生の指揮活動の中でも重要な役割を占める三善作品を始めとする、新曲や名曲の創作力は今も眼を見張るものがあります。そんな豊混、今年は二本柱、三善晃追悼と、待望の千原英喜作品初演、加えて、もちろん高田作品も忘れないという、盛り沢山のプログラムでした。

ホールについて
関西の方にはお馴染みでしょうか。福島にあるので音はいいです……っていうのはともかく(実際、大阪・福島にあります)。
座席の奥行きは狭め。座席数からしても決して狭くはないですが、円形の作りで、意図的に狭くつくろうとした当時の音響に対する意欲が感じられるホールです。ちょうど教会のような、シンプルな壁面にブラウンの落ち着いた内装、椅子のちょうど良さ(これが本当にいいんだ!)、程よく残り、そして包み込むように響く落ち着いた響き、ここで、幾多の名演が生まれてきました。
そして、表方の仕事が本当に素晴らしい!トイレにも「ご来場ありがとうございます」という手書きポップが掲出してある気の届きようです。しかも、コーヒーがすごく美味しい。ホール内とは思えない。至福の時間を過ごすことの出来る名ホールです。決して新しくないながらも、至上屈指のホールです。

上に書いた通り、前半は三善晃追悼個展、後半は、十八番と新曲初演でした。構成力にも優れた演奏会。

オープニング
三善晃「中新田町町民憲章」(宗左近)
三善晃「豊中少年少女合唱団団歌」(三善晃)*
指揮:西岡茂樹
太鼓:柏崎康平、中村優太、西真一郎
*ピアノ:西岡惠子
*演奏:豊中少年少女合唱団
三善晃作品から各作品。1曲目は、作詩作曲両氏が愛した宮城県加美郡にあった町(現加美町)への献呈曲。この町にある、バッハホールというのがとても素晴らしいホールだそうで、その縁もあり、両氏による多くの曲が生まれているとのことです。自然に囲まれた中新田町とは、こういう風景なのだろうか、まさに自然への讃歌! moll の特徴的な主旋律を男声の静かで力強いユニゾンが導き、女声がさらにユニゾンを重ね、ヘテロフォニーをきっかけに和声が分かれてホールに広がります。そして締太鼓と和太鼓が加わり、地元を祀る交歓のように活気に溢れていきます。円熟の音を鳴らす豊混によく合った曲であったような気がします。特に同曲については、できればもっと圧が欲しかったか。
2曲目は、今回賛助で乗ることになっている豊中少年少女合唱団の作品。西岡先生が引っ張る豊混の姉妹団。曰く「ダメ元でお願いしたら、ある日突然封筒で届いた作品」だそう笑 曲としては平易ながら味わい深い、そして、文筆家としても秀逸な三善先生の示唆に富んだ歌詞が秀逸な作品です。先生の子どもたちへの思いが十二分に詰められた曲なような気がしています。三善晃というと、殊現代音楽の名作に目が行くのは勿論なのですが、他方で、カワイ「三善メソード」全12巻に代表される、教育音楽への眼差しというのも、一つ重要な側面を醸します。桐朋学園学長職も合わせて、音楽教育へ三善先生が尽くされた貢献も、非常に大きい、まさにその象徴の一作とも言えそうです。

第1ステージ
三善晃・童声・混声合唱とピアノのための『葉っぱのフレディ』
指揮:西岡茂樹
ピアノ:山岸陽子
賛助:豊中少年少女合唱団
第40回大阪府合唱祭で初演された同曲。3年続きの、子どもたちとの合同演奏の、奇しくも第1回が行われる数日前、合唱祭の行われている池田アゼリアホールにも近い、大阪教育大学附属池田小学校で痛ましい事件が起きた所だったといいます。そのことから、三善先生に委嘱をお願いするときに、西岡先生が話されたというその事件の話が、「葉っぱのフレディ」への付曲につながったとのこと。子どもたちを守ることすら出来ない苛立ちと、それでも伝えられることがあるはずだという、西岡先生の信念。
全編を通して、混声と童声の交歓により歌われます。「春」全編アカペラ、大人と子供の交歓で、穏やかに春を祝う。「夏」弾むようなウキウキとした音色。夏の楽しみを、ともに元気に歌う。「秋」来る将来への不穏。運命の予期と、純粋な嘆き。「冬」哀しみの受容。その中の、ダニエルの救いの間奏曲。「雪」運命の受容。静かに、しかし着実に、美しいカデンツ。「やがて春」巡る季節、巡る命の喜びの讃歌。繰り返し、しかし、大きく、美しく育っていく。
先日、大阪府合唱祭でも再演していただけに、円熟し、完成した音楽を聴くことが出来ました。大人数ながら、アンサンブルが、各パート立ち位置を捉えた、全体としてのまとまりで響かせる力を持った秀逸なものでした。木は全体でこそ育つ。第1ステージにして、名演でした。普通だったら演奏会が終わる笑 2回めですが、何度聞いても美しい組曲です。編成的に困難こそあれ、府連にとどまらず、今後ひろく愛唱されることを願ってやみません。
備忘含め、やや、ソプラノに弱く、テナーに膨らみすぎたか。

第2ステージ
三善晃・混声合唱曲「嫁ぐ娘に」(高田敏子)
指揮:西岡茂樹
続いて、名曲の再演。三善音楽の中でも『フレディ』が後期だとしても、こちらは、初期にあたる作品です。1962年、委嘱はABC朝日放送、初演は東混。ともすると、大阪生まれといっても差し支えない作品です。多分……笑
高音がイマイチ伸びきらないことや、フレーズの終端が揃いきらない殊など、留意すべき点が幾つかある演奏でしたが、他方、三善音楽の構成美的要素は余すことなく熟知された演奏であったと評価できます。まとまった、統一されたハーモニーに加え、斬新ながら、日本語の抑揚にあわせて自然に付された音列、それに伴い現れる音楽の山と谷。強弱はそれに寄り添って付けられていきます。聞いているうちは、ややディナーミクに不足感がありましたが、今回顧するに、ちょうどよかったのかもしれないなぁとも思わされます。「嫁ぐ日は近づき」リズムパートの男声がよく輝いていました。逆に、同じ箇所では、女声の縦が揃いきらなかったように感じます。「あなたの生まれたのは」、終曲「かどで」とどこまで対比しきれたか。似通っているように聞こえてしまった。「戦いの日日」東混初演作に特有な、ソロの多い構成をも明瞭にきかせられた。「時間はきらきらと」前曲との対比が、ついていたともついていなかったとも。曲間の連続性という意味では、可としたい。

インタミ、20分。多分、20分(よく見てなかった)

第3ステージ
高田三郎・混声合唱とピアノのための『啄木短歌集』(石川啄木)
高田三郎・混声合唱曲「冬・風蓮湖」(岩間芳樹)
指揮:須賀敬一
ピアノ:中村有木子
指揮者にとっても、団にとっても、十八番。『啄木』は、はじめ独唱曲として、混声版は、豊混初演で行われたそうです。世代交代が盛んな団ですが、初演曲、再演。
計算しつくされた音楽、語頭の揃ったテキストの描写、決しておしつけでなく、心に自然に届くディナーミク。これぞ、高田=須賀音楽也。ところで本来「高」はハシゴ高である。
両曲とも、何ら過不足のない、完成された音響。現代音楽に属するにしても、敬虔なクリスチャンでもあった高田先生の音楽には、いずれも、演奏上守られねばならない厳密な掟が多く存在します。さながら、古典派を演奏するかのような緊張感が求められる。代表作『水のいのち』だけで楽譜が200刷を数えるほどの再演の積み重ねが、高田音楽の掟を伝承してきました。その代表格とも言える須賀敬一先生、そして豊混。その流れを十分汲んだ、文句の付けがたい圧巻の出来でした。
「冬・風蓮湖」は白眉。現代に高田音楽を演奏する意義を十二分に感じることの出来る、堂々とした演奏でした。

【須賀アンコール:高田三郎「街角で」(村上博子)】
高田先生、合唱曲の遺稿とのこと。高田音楽らしい、美しい旋律に溢れた曲。御大ステージの締めくくりに、着実な音響を聞かせてくれました。

第4ステージ
千原英喜・混声合唱のための『永訣の朝』〈初演〉
指揮:西岡茂樹
まずは、西岡先生と千原先生のトークショー。「作曲していると、突然、銀河系宇宙の中にいるというか、アンドロメダ系銀河の中心にいるような感覚に陥ることがある」「銀河系のはるかかなたへ祈りをこめる、そういう曲なんですよ!」(要旨)など、千原先生の宇宙観をなおも確認させられるトークでした。豊混&西岡、待望の千原委嘱、であると同時に、千原待望の豊混委嘱、だったとのこと。双方の需要が一致する、運命の委嘱初演。
壮大かつ麗美、普遍的な祈りに満ちた傑作が生まれました。「あめゆじゆとてちてけんじや」の谺の中に、今失わんとするものへの切なさを歌う1番、そして、最後の「わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ」という壮大な決意を堂々と歌い上げる2番。現代の作曲中の中でも珠玉の『永訣』が生まれました。
曲は、千原音楽の中でももっとも複雑かつ困難を極めます。冒頭、絡み付き、因縁のようにまとわりつく対位にはじまり、絶唱のユニゾン、そして、氷解するような和声。詩に寄り添い、音の風景は色を変え、移り変わります。絶望から祈り、決意への転化。賢治に通底する、美しいものへの憧憬。この曲を通してはじめて、千原先生の主張し続ける独特の宇宙観が、ようやく理解できたような気がします。
賢治のテキストへの付曲は、嘗てから多く行われていました。そのどれも、名曲であることにかわりはありません。しかし、賢治へのアカペラでの付曲は、中々試みられなかったように思います。肉声でのみ、というと観念めいていますが、声のみで伝えられた『永訣』の世界観、これこそ、もっとも求められていたことの一つのような気がしています。決して勢いにまさる綺羅びやかさや、がちゃがちゃと装飾ばかりに華美なわけでもなく、ただ詩と向き合い、詩の世界を音にすることのみに執心された世界観の創出。それゆえに生み出された、傑作。
1月に到着していたとは言いますが、豊混も、よく表現し切りました。2番中間部の跳躍かつ無調的な対位には苦しんだ跡が伺えましたが、それ以上に、構成にも難解な同曲にくっきりと輪郭が与えられていました。唸る西岡、それに呼応する絶唱。傑作の初演は、豊混なくしては成立しえませんでした。
関西合唱コンクールで再演とのこと。即時出版希望。大曲故、多くの団の再演を通して、この曲は磨かれなければなりますまい。祈りと決意の協和音を、全国に。

【西岡アンコール:千原英喜「夜もすがら」(鴨長明)】
すみません、練習中故、テナーがとても明瞭に聞こえます爆 今年の全日本合唱コンクール課題曲。
うってかわって、シンプルながらキレイな曲ですよね。ちなみに、西岡先生、「夜↓もすがら」ではなく、「夜↑もすがら」です!wwww

・まとめ
本当に充実した演奏会を聴くことが出来ました。プログラムからして合唱の歴史を洞察しつつ、得意なところから新しい挑戦まで、豊混という団のポテンシャルを如何なく発揮していたように思います。合唱団もプレイヤー側にいますと、何かと政治的な話が云々聞こえてきます。しかし、そんなことと、音楽の美しさは、関係ないんですよね。美しい演奏の前には、何もいうことは出来ますまい(お前これまでどれだけ書いてきたんだよ……www)
何より、本当に素晴らしい作品が世に生まれたこと、そのことが、何より、この演奏会においてであってよかった。傑作にふさわしい、名演でした。Bravi。

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