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2013年12月9日月曜日

【三善晃オペラ『遠い帆』2013年公演】

2013年12月7日 於 東京エレクトロンホール宮城
外部記事参照
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20131207-OYT8T01339.htm (読売新聞)
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131208t15011.htm (河北新報)

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因果の存在をおおっぴらに言明すると、少し怒る人もいるのかもしれない。

因果を肯定してしまうことは、一面的には諦念の色も濃い。決まっていると思われている運命に抗う心が、例えば自己啓発なのだとしたら。あるいは、認めたくないような酷い環境にいる者に、それは因果だ、と投げかけることは、一つには、人を絶望へと落としてしまう詞かもしれない。因果は、そして、経済格差をも肯定する。道理的には、認めたくないものだ。運命、といってもいい。

しかし、残念ながら、この世の中は因果で塗り固められている。様々な制約にがんじがらめになりながら生きることが、どうやら揺るがしようのない事実のようだ。実際、自分がお金を持っていないからといって、その場でお金を生み出すことは出来ない。それまでに積み重なった因果のアウトプットとも言える。

支倉常長が主役であるこの公演も、まさに様々な因果が絡み合った公演であった。主催・仙台市および公益財団法人仙台市市民文化事業団、協力・慶長遣欧使節出帆400年記念事業実行委員会および仙台市博物館、平成25年度文化庁地域発・文化芸術創造発信イニシアチブ、後援・宮城県、石巻市、大郷町、川崎町はじめ23団体余り。事前のプレトークや関連展示、プレコンサートを含め、多くの関連事業が組まれた。まさに、支倉常長の遣欧使節団400年記念の中核的な公演として位置付けられていた(支倉六右衛門出帆の際も、関係者はこんな雰囲気だったのかもしれない。)。

現在の現代音楽の現状としては考えられないような厚遇の公演だった。それこそ当時を知らない自分としては、昔へタイムスリップしたような気分だった。例えばオーケストラの公演でプログラムがすべて日本人への委嘱作品で固められた演奏会が開催されていたような時代に。

現代音楽の、特にオペラともなると、古典派やロマン派中心の現代のプログラムでは考えられないような大編成を要するものだ。オーケストラの規模としては、シェーンベルクの段階で第九を超える。現代の編成ではピアノが入るのも普通。中には内部奏法を要求してきたり、鍵盤楽器でも2~3台別のものを要求してきたりもする。打楽器の種類が増えるのはいうまでもなく、中にはティンパニ2台で演奏する作品すらある。演奏効果としては、大音量を可能にしたり、表現の幅を広めたり、色々と効果はある。ただ、問題として、カネがかかる。例えば先般の内部奏法などは、ホールがレンタルのピアノでの内部奏法を禁止していたりすると、別注でレンタルする必要がある。もちろん、団員が足りなかったらその分賛助演奏を募る必要もあるし、まして合唱がついたり演出がついたりする現代音楽のオペラなどはとても演奏頻度が低くなる。

ことによると、集客の都合で演奏すら困難になることが多い。それが、「遠い帆」ーー少なくとも土曜日公演ーーは、1階満員の客入りだった。興行的には大成功。成功をもたらす現代音楽公演という、現代音楽の、三善晃のための祝祭ともなった。

因果は、脚本のテーマである支倉常長以外の方面にも開かれていた。10月4日、このオペラを作曲した三善晃が逝去する。彼の逝去ののち、恐らくもっとも大きい演奏会が、『遠い帆』であった。ホワイエには初演時講演の記録パネルが、パンフレットにはサントリー音楽賞受賞時のコメントが、追悼の字とともに、公演後のカーテンコールでは、三善晃氏のパネルが掲げられた。13年前に生まれた、氏最初で最後のオペラ作品を、氏の追悼とともに省みることは、止めることの出来ない思惟でもあった。

さらに、奇しくも震災が、この公演にまた特別な因果を付加することになった。プレトークによれば、偶然にも、この公演が決定したのが、2011年3月7日だったという。脚本の高橋睦郎は、その後、半年間も主催者と連絡がとれなくなったこともあり、この公演計画は中止になったのではないかと思ったという。 決して震災のために企画された公演ではないものの、事業団としても、震災の後、仙台の、そして被災したホールの復活を掛けた一大プロジェクトとなったとの思いが強かったという。

ホールは、もと宮城県民会館という名の示す通り、とても古いホールだった。多目的ホールではあるものの、外観は、まさに名古屋の御園座を彷彿とさせるような、ビル型の建物。特に仙台の定禅寺通という、様々なオフィスや飲食店の立ち並ぶ通りに面していることもあり、傍目からは全くホールとはわからない。しかし、そこは、正に、歴史に残る公演をこれから残さんとするホールの姿であった

このホールでの『遠い帆』の上演は2回目だという。震災で使えない機構が未だ若干残り、思惑通りの万全な演出は叶わなかったという。しかし、このホールで演奏することを選んだのは、まさに、因果なのだろう。左右非対称という非常に特殊な構造を持っており、下手のみに花道がある。恐らく伝統芸能の公演を視野に入れた作りとなっているのだろう。今回は花道も封鎖され、主に打楽器奏者のピットとして利用されていた。

プレトークののち、開演。1幕20場面、60分。決して長くはない時間の中に、濃密な舞台が展開される。伊達政宗の命により、将軍の名代としての使節団がイスパニア及びローマに送られる。宣教師ソテロの司教への野望に導かれ、遠い異国の地へ、未知の世界への正使・支倉六右衛門の不安の船出。将軍の思惑により、キリシタン弾圧令が敷かれ、正宗は葛藤の末、六右衛門を捨てる。その頃、マドリードへ到着、受洗、そして果てはローマ教皇への謁見を果たした六右衛門たちであったが、彼らはもう使節の資格を失っていた。権力の翻弄の中に見捨てられ、自らの行く末におののくソテロに対し、今度は、六右衛門がソテロを導く立場になるーー。

出帆前、海を見つめながら繰り返される「闇」、途中、特に前半、何度も繰り返される「権力」の5文字の応酬、そして、後半の受洗における六右衛門の苦悩に伴う「あなたは選ばれた」という言葉。いずれも、抽象化され、何度もモチーフとして用いられることで、世界観は音画的に描かれる。妖しく、激しく蠢く苦悩にも似たオーケストラ、そして、翻弄される運命を、言葉の内容、そして音によって作られるイメージの中で、ファジーな要素を残しながら、しかし確実に進展してゆく。早い展開が、因果のままに翻弄されてゆくあらゆる主体の時流を象徴する。

一寸先は闇、しかし、権力もまた因果であり、因果(「あなたは選ばれた」)により六右衛門は強くなった。因果、あらゆる運命はまた、権力の一つである正宗をもまた、家康の権力という濁流に巻き込んでゆく。「(合唱)地上には権力者 いつも どこでも/人間のいる限り いつも どこでも/闇!」(上演台本抜書)仕方のないもの、といえばそれまでかもしれない、しかし、受け入れる事以外に何の出来ようーー受洗を通して、六右衛門の因果に対する態度は急変した。それは、確かに受け容れがたいものかもしれない。しかし、事実として受け容れた後、それは開口部でもある。

三善晃音楽の頂点はどこにあるのだろうかと考えていた。確かに、氏は作曲家の身のまま世を去った。最期の作品は、おそらく未完のオペラであったという。ーー氏はなんども作曲家としての極大点を迎えた。例えばそれは三部作や四部作であったり、『五つの童画』であったり、『木とともに人とともに』であったりする。それらの作品もまた、氏の様々な因果宿命の中で生まれた作品たちであった。主に、氏の戦争体験のみせる主観性をして、それらの作品は書かれた。『遠い帆』は、そういった因果的な主観性を抽象化したものとして作曲されたものといえよう。支倉六右衛門と三善晃の立場の、大きな意味での共通性ーー氏もまた、戦争や楽壇といった、様々な因果に翻弄されたーーが、彼をはじめてのオペラへと駆り立てた

そしてそれは、愈氏の最高傑作となった。氏独特の、内面性を抉る音使い、言葉に寄り添い、言葉のリズムを拾うかのように付けられた歌、そして協和音と独特のリズム、対位法と和声法の交錯する合唱、単旋律を天上の声のように奏でる児童合唱ーーいずれも、氏がこれまでの作曲の中で習得したあらゆる技術が投入されていた。圧倒的なスケールと音圧、そして静けさから浮き立ち静けさに消えてゆく音楽。

総監督・宮田慶子氏の指摘した通り、演出にも、仙台の、そして日本の演劇界の総力が結集された。岩田達宗による総合演出、渡部ギュウを中心としたトップクラスのパフォーマンスは、あいちトリエンナーレ2010でみた、とあるパフォーミングアーツを彷彿とさせた。抽象的な世界をわかりやすくも奥深く、そして象徴的に焼き付けた。佐藤正浩の指揮する仙台フィルハーモニー管弦楽団は、三善晃の、合唱人が知らないほど複雑な音の羅列を、歌の邪魔にならずも、しかし明確なメッセージを持って伝えきった。合唱は、公募オーディションによる市民合唱団、そしてNHK仙台少年少女合唱隊。福島をはじめ合唱天下の東北地方の、そしてグリーン・ウッド・ハーモニーを中心とする豊かな経験をもった宮城県の合唱界の実力をしっかりと見せつけた。協和音を美しくはめながら、言葉を明確に浮き立たせるその確かな蓄積、そして実力。宮田氏をして絶賛されるものであった。

舞台暗転からの一瞬の沈黙。仙台の観客は、目も耳も確かだった。割れんばかりの拍手、そしてブラボー。自分もまた、声を挙げた一人だが、その思いは、間違いなく心の底から発せられたものだ。名演だ、傑作だ。日本には、こんなオペラを作るあまたのアーティストが存在する。簡素ながらしっかりと支える舞台機構を含め、宮城の老ホールに、日本の芸術のすべてが結集していた。

ホールの外にでると、定禅寺通。仙台の夜は毎年、光のページェントというイルミネーションのイベントをこの通りで開催しているそうだ。大きな街路樹の枝の先にまで繋げられた、仙台を明るく照らす光のアーチ。ーーまるで、幸運な因果に導かれた仙台の街を祝福しているかのようだった。この街は、選ばれているのだ、きっと。

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